優しさ全て弱さではありませんように
一見おとなしいし、確かにおとなしいのだけれど、実は静かにおとなしくない人が好き、そういう人になりたい。
やさしいねと言われるたびにその言葉が違和となり身体の全てに詰まって血液が壊されそう、わたしはやさしくなくいじわるなのだほんとうは。
弱さが変形したやさしさは無意味であり、やさしいのではなく怒れないのだわたしは。
かわいそうという言葉が大嫌いで、人を傷つけるにはうってつけだと思っている。
知らないお酒を飲めるようになって、身体も脳みそも騙されるのだけれど、決してかわいそうだとは言わないし、無意識に言おうとしない。
理由なく悲しむのは悲しいことではないのだから
急にお母さんのことを思い出すみたいにふと悲しくなることがあるのだけれど、悲しみの理由が分からなくて、でもそれはきっと芳香を放っていると思えるのは、まるでお母さんみたいだからなのだろうと考えている。
郷愁にも似た馥郁たる匂いで湛えられた私の悲しい体内は今にも潤び切りそうになる。悲しい匂いがついに溢れたことで流れる涙は淀みなく美しいので、どうかわたし、理由なき悲しみを悲しまないでくれ。
カネコアヤノを聴くと、そんな気分になる。彼女はとても素敵。
未来に放り続けているんだろうな
最近はというと、仕事を二つ掛け持ちして自ら怒涛を起こすも飲み込まれまいと奮闘している。
川上未映子の新刊、ウィステリアと三人の女たち をついに買い、嬉しくて嬉しくて、もったいないからもったいぶって読んでいる。
彼女の文書は石のように手強く、時には石のように潤滑、同じで同じじゃない。正義のような黒さを味方に強く艶やかでいたいよ、みたいなことを考えて気が付いたら23歳で、好きなものも嫌いなものも平等に増えて、楽しい。私は私の感情を贔屓しない。
30歳でぷちんと死んじゃう予定で後先考えずに生きている。後先考えたところで上手くいった試しがないから私にはこれが丁度よくて、きっと、私は私にほっとかれている。
浅はかな深さ
なぜこんなに紙しかない。
そう憤りながら働く書店員の毎日を、わっせわっせと紙たちで埋めている。
猫がにゃごにゃごと何かを言うので、私もごにゃごにゃと何かを言い返す。ちゃおちゅーるを持ち歩いているから、私は猫に対して今とても自信がある。
このまま、表面だけ掬うように生き続けていいのだろうか。掘り下げてもらえるだけの深さを手抜かりなく整え続けているのだけれど、浅さを積み重ねているだけのように思う。それはもう甚だ浅はかな深さだよ。
食べかけのアイスクリームに容赦ない。もうアイスクリームを台無しにしたくない。しかしそんな季節がもう来ている。
夢が年老いていく
今日は良い夢を見られそうだけれども悪い夢も付随してきそうな予感がしている。
「わたしは付随したくない」そうメモに書いてあったのだけれど覚えていない。
不安定な気持ちのせいで、すべてが傾いてしまって、今見ているものは縦なのか横なのか、前なのか後ろなのか、現実なのか夢なのか。
夢が年老いていく気配がどうしても退いてくれなくて、寝たふりをして気が付かないふりをしてみたけれどやはりほんとうなのだろうかと思っている。もっとも夢には夢らしくいて欲しいのだけれど、夢に寝たふりは通用しないみたいだ。
寝あぐねているわたしを遠くで待ち続けてくれているのなら、いっそ目覚めたふりをして眠り続けていたくて、夢のような世の中をずっとずっとたゆたっている。