藤川 あひの

ahino fujikawa

2018/03/10 (土)

「#もしもsnsがなかったら」

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何かを日本一、世界一、と言い切れるほど一切の集計を取っていないというのに、やたらと日本一だの世界一だのと独りよがりな集計を取りたがり、他者がどう思っているのかを独りよがりに知りたすぎていると思うのです。

その日本、その世界の、その集計に、一切のわたしは入っていないのですから、snsですら、思いがけず独りぼっちなのかしらわたし、きっと一人が好きなのだけれど独りは苦手なのだから、独りよがりな独りぼっちになれたらどれだけ楽だろうと思うのです。

いえ、わたしは独りではないと思いながら、世間の日記、世間の詩、世間の絵、世間の静止画、世間の動画、世間の音楽、世間の色恋沙汰を、片手に収まるほどのなけなしの液晶で、ありったけ観て聴いているというのに、奇しくも世間は他者ばかりだと思い知るごとにあなたはね、本当は独りよ、独りなのよ、と云う報せを受け取ってしまっては、それを散り散りにする暇もなく、もう一切の独りになってしまうではないですか。

一切の一人、願わくば、一切の一人。

snsがなかったら、一切の独りにならずに済んだものの、
snsがあったから、一切の一人を乞ってしまいます。

けれども、けれども、うんと遠いと思っていたはずの人が、わたしに会いたいと文字を作って、わたしも会いたいと文字を作ったら、うんと近くなることもできるのですね。


だからsnsは、一切の伏線。

一切が、わたしとあなたが出会うための伏線だったのかもしれないですね。そんな女々しいことを考えて、わたしは女なのだから、考え一切女々しいということになるのだけれど、そういう意味ではないことは察してほしい、なんだって察してほしい、察してほしいと思っていることをどうして察してくれないのですか! うんと遠い、察しの圏外と分かっていながら文字を作っては、いざこざの伏線を作ることもできるのです。

綱渡りのような快苦をもって、その伏線をそろそろとした辿りで待ち合わせるということ、隣に座るということ、声を介して会話が成立するということ、頭に手を乗せてもらえるということ、あなたを眼前に目一杯広げるということ、あなたの吐息を右肩で感じるということ、会いたいけれど‪会えないということ、この一切のことは、あなたを他者だと証明してしまうこと‬。

snsがなかったら、
あなたに対する他者の証明をせずに済んだのですが、一切の伏線ゆえ、出会ってしまいました。


だからsnsは、一切の交差点。

渋谷のスクランブル交差点中のごった返しをかき集めては存在。
つまるところ誰だって存在していい。
じつのところ夥しい他者の存在に存分に酔っているのだけれども、わたしはその他者酔いが至極心地よいのです。

しかしながら、誰だって存在していいそばで、本当に存在しているのか時に不安になるのです。だって、たまに君を忘れると、君が他者だということも忘れてしまいそうですから。

こころの届かないところで、
傷つけたことに気づけないで、
ああ、存在過多。嫌になる。

一切のsnsがなかったら、
一切の他者ですらなかったのでしょう。

一切ーー。

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#sns展 #snsがなかったら

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